初代院長の義祖父である「所 郁太郎」は、天保九年美濃国に生まれ幕末の黎明期に日本医学の開祖だった緒方洪庵「適塾」の門下生となり、二年余勉学に励んだ。その後、長州藩に召抱えられ軍の参謀として活躍。井上聞多(のちの井上馨)、高杉晋作らとともに維新回天に奔走した。井上聞多が反対派の凶刃で重傷をおった時、郁太郎が体得した医術と焼酎と畳針を使い、その一命を救った史実はあまりにも有名です。しかし二八歳の若さで病死してしまう。
昭和五九年に孫に当たる、「所 安夫」が院長に就任するにあたり、郁太郎の偉業とその情熱の灯を絶やさぬ様に病院名に“所記念”を使わせていただきました。